記事執筆/監修:新井一(起業18フォーラム代表)
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私の世代(40代後半)なら、誰もが知るプロレスラー、燃える闘魂「アントニオ猪木」さん。私も、大人になってからは馬場さん派に寝返りましたが(笑)、子供の頃は、金曜日午後8時、テレビの前に座り、古舘伊知郎さん解説の「ワールドプロレスリング(新日本プロレス)」を欠かさず見ていました。
アントニオ猪木(本名:猪木寛至)さんは、日本で一番有名な元プロレスラーと言っても過言ではないでしょう。現在は闘病中で、YouTubeで時折、お姿を見せてくれています。
猪木さんは、プロレスはもちろんのこと、興業の世界で様々な仕掛けで世間を騒がせ、私たちをワクワクさせてくれました。政治の世界にも進出し「スポーツ平和党」を結党。湾岸戦争時にイラクへと渡り、人質解放に尽力するなど、存在感を発揮しました。そんな猪木さんですが、プロレス興行以外のビジネスにおいても、様々な顔をお持ちです。
アントニオ猪木さんとは何者なのか?
猪木さんは、日本のプロレスの父「力道山」からスカウトされてプロレスラーになったのは有名な話。ジャイアント馬場さんと共に、日本人2トップのレスラーとして時代を作りました。
プロレスラーとしての実績は誰もが知るところですが、実は猪木さん、私たちがよく知っている食品を、日本に広めたと「噂になった」人物でもあるです。猪木さんは、13歳の時に母親、祖父、兄弟とブラジルに渡った過去があり、1970年代にブラジル産の食品等を扱う貿易会社「アントン・トレーディング」を立ち上げています。この会社では、マテ茶やひまわりの種などを輸入していたのですが「タバスコ」も扱っていました。
タバスコを日本に紹介したのは猪木さん?
一部では信じられているものの、これは真実ではないようです。タバスコは、進駐軍の手により、戦後すぐに日本へ持ち込まれているとのこと。実際は、このタバスコの代理店契約は一時的なもので、大金を得るどころか多額の債務を抱えてしまったそうです。とは言え、猪木さんの存在はタバスコの普及に貢献したかもしれませんね。
猪木さんは環境ビジネスにも携わっています。1970年代、ブラジルではサトウキビ由来のアルコールをエネルギーとして使う研究が行われていました。しかし、アルコールを精製する際に出る搾りカス「バカス」の処理に困っていました。
ブラジルではこのバカスを家畜に与えるなどしていたのですが、バカスを食べた家畜はお腹がくだってしまいます。どうやら、バカスの中に含まれる「ある物質」が下痢の原因らしいのです。猪木さんは、このある物質を食べる細菌が存在すると聞き、行動します。しかし、猪木さんが立ち上げた「アントン・ハイセル」の事業は、ブラジルの気候によって成功させることができず、負債はウン十億円という莫大な額になったそうです。
猪木さんは、そのほかにもエネルギー系のビジネスを手がけています。「永久電気」がそれです。この永久電気、高級ホテルでの会見まで行ったものの、その後、日の目を見ることはありませんでした。
失敗だらけの猪木さん・・・
上は大学時代の私、新井一です。馬場さん、三沢光春さん、川田利明さん、小橋健太(現・小橋建太)さん(全日本プロレス・超世代軍)の大ファンであり、プロレスラーになれたら・・・と淡い夢を抱いていた少年でした。
馬場さんや元子夫人には大変可愛がっていただき、右は大学の卒業パーティーをして頂いた夜の記念撮影です。猪木さんと馬場さん、水と油でしたが、私は少年時代は猪木さん、タイガーマスク、その後、馬場さん、三沢さんの大ファンになり、今でもプロレスが大好きです。
猪木さんが手がけたビジネスは、ほとんどが失敗。私は、居酒屋「アントニオ猪木酒場」の池袋店によく通っていましたが、そこも2020年7月31日をもって最後の新宿店が閉店に。。ですが、これだけ失敗を重ねても、何度も新しいビジネスを立ち上げ、リングで戦い、今は病魔と闘う猪木さん。これからもずっと応援していきます。
川田さんは今、ラーメン屋さんの経営者です。
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起業18フォーラム代表。「会社で働きながら6カ月で起業する(ダイヤモンド社)」他、著書は国内外で全12冊。最小リスク、最短距離の起業ノウハウで、会社員や主婦を自立させてきた実績を持つ。自らも多数の実業を手掛け、幅広い相談に対応している。
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