記事執筆/監修:新井一(起業18フォーラム代表)
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「海の近くで暮らしたい気持ちはあるけれど、向こうに仕事なんてないですよね」。房総への移住の相談で、いちばん多く聞く言葉です。
正直に言うと、私もかつては、移住先の仕事は移住してから探すものだと思い込んでいました。ところが、館山やいすみに渡っていった起業18フォーラムの会員さんたちを見ていると、仕事は移住の後に探すものではなく、移住の前に種をまいた人から立ち上がっていきます。
この記事では、館山・鴨川・南房総・いすみの4市町で人の流れがどう違うのか、そして移住前の今、何を準備できるのかを、公的な数字と現地の動きから整理します。
「房総には仕事がない」は半分しか当たっていない

たしかに、求人票の数だけを見れば都会には遠く及びません。ただ、雇われる仕事の少なさと、お金が動いていないことは別の話です。
千葉県の観光入込調査(令和6年)によると、県全体の観光入込客数は延べ約1億7,091万人で、前の年より3.9%増えています。このうち館山・鴨川・南房総を含む安房地域だけでも、宿泊客数は年間約275万人にのぼります。
人口数万人の町に、その何十倍もの人が泊まりに来ます。この出入りの大きさが房総の特徴で、地元の暮らしの需要と観光の需要が二重に存在しています。問題は需要の有無ではなく、どの財布のどの困りごとから始めるかが見えていないことのほうです。
だからこそ、房総で先に用意すべきは移住の覚悟ではなく、地元の需要に触れる小さな接点です。接点があれば、店も仕事も後からついてきます。
- 支援金の額から逆算して移住の時期を先に決めてしまう
- 観光で好きになった景色のまま、商圏を見ずに店の場所を選ぶ
- 貯金を取り崩す前提で、最初から店舗の賃貸契約を結ぶ
3つに共通するのは、需要に触れる前に固定費と退路だけが決まってしまう点です。順序を入れ替えるだけで、同じ移住でも危うさはまるで変わります。
館山・鴨川・南房総・いすみは同じ「房総」ではない

移住情報ではひとくくりに「南房総エリア」と呼ばれますが、4つの市はそれぞれ人の流れの軸が違います。どこで何を始めやすいかも、軸に合わせて変わります。
| エリア | 人の流れの軸 | 地元需要から始めやすい入り口 |
|---|---|---|
| 館山市 | 海水浴やダイビングなど海の観光 | 観光客向けの飲食・体験・宿まわりの仕事 |
| 鴨川市 | 漁港と大きな病院を中心にした往来 | 滞在する人向けの食事・暮らしの支え |
| 南房総市 | 花とびわに代表される農の生産地 | 農産物の加工・直売・収穫体験の手伝い |
| いすみ市 | 朝市と有機農業に集まる移住者の層 | 朝市出店や小さな教室での顧客づくり |
たとえば鴨川には、全国から患者さんと家族が訪れる亀田総合病院があり、観光とは別に年間を通じた人の流れがあります。いすみ市の大原漁港で毎週日曜に開かれる「港の朝市」には最大で約40店が並び、出店者と買い物客の距離が近いことで知られています。
千葉県毎月常住人口調査(令和8年5月1日現在)では、館山市約4.2万人、鴨川市約2.9万人、南房総市約3.2万人、いすみ市約3.2万人と、4市町を合わせた人口は約13.5万人です。一つの市だけで考えず、車で行き来できる4市町をまとめて一つの商圏として眺めると、見える景色が変わります。
支援制度は「方向性が固まったあと」に効く道具
制度の面も知っておきましょう。館山市・鴨川市・南房総市・いすみ市には、東京23区からの移住者などを対象に、単身60万円・世帯100万円を基本に、18歳未満の世帯員がいる場合の子育て加算を設ける移住支援金の制度があります。起業で申請する場合は、千葉県の地域課題解決型起業支援事業補助金(上限200万円・経費の半分まで)の交付決定が前提になる仕組みです。
また、この4市は産業競争力強化法に基づく創業支援等事業計画の認定を受けていて、認定の一覧は中小企業庁が公表しています。特定創業支援等事業の支援を受けると、会社設立時の登録免許税の軽減といった優遇につながります。
ただし、注意点が一つあります。移住支援金も県の補助金も募集期間と要件が年度ごとに見直されるため、支援金ありきの資金計画は土台から崩れることがあります。制度は、何を売るかが固まった人が最後に上乗せする道具と考えて、最新の要綱は各市の公式ページで確かめてください。
移住前にできる最大の準備は「定点で出し続ける」こと

では、まだ都会にいる今の時点で、何ができるのでしょうか。私がおすすめしているのは、好きなことを丸ごと事業にしようとする前に、その一部分だけを切り出して、決まった場所で発信し続けることです。
拙著『朝晩30分 好きなことで起業する』にこんな一節があります。ブログはストック型メディアで、書いた内容がネットの世界に半永久的に残り続ける、という話です。SNSはラジオのように流れていきますから、通いの記録は流れる場所ではなく、たまる場所に置くほうが効いてきます。
房総のすべてを紹介する必要はありません。「朝市の魚でつくる平日の弁当」「里山の竹で編むかご」のように、心が動いた一点だけを決めて、同じ置き場で出し続ける。それが定点です。
定点が3ヶ月もたまると、向こうから声がかかり始めます。次に房総へ行く週末に題材を一つだけ決めて、写真と短い文章を同じ場所に出すことから始めてみてください。関係人口という言葉がありますが、その実体は、こうした顔の見える記録の積み重ねです。
- 定点を決める:
房総で心が動いた題材を一つ選び発信の置き場を固定 - 小さく試す:
朝市や地域の集まりで一度だけ出してみる練習の場づくり - 制度を確かめる:
支援金と創業支援の最新要綱を市の公式ページで確認
ここまで進めてから移住すれば、引っ越しの日が「初めまして」ではなく「いつも見ています」から始まります。お客様ゼロの開業と、顔見知り数十人の開業では、最初の半年がまったく別物になります。
掲示板の「ちょっと手伝います」が卸につながった堀内さん

起業18フォーラムの会員さんに、堀内さん(仮名・40代)がいます。44歳のとき房総の空き家見学会に参加したのがきっかけで、平日は都内で働き、週末だけいすみのあたりに通う生活を2年ほど続けていました。
面白いのは、最初の一歩が商売ではなかったことです。地域の掲示板に「日曜の午前、力仕事をちょっと手伝います」と書き込んだところ、直売所の搬入や収穫期の助っ人の頼みが途切れなくなりました。頼まれごとを引き受けるうちに、半径3キロの中にこれほど困りごとがあるのかと、需要を肌で覚えたそうです。
通い始めて10ヶ月目、趣味だった保存食づくりを生かして、柑橘の加工品を週末の市場に並べました。ところが売れ行きは天気と客足しだいで、雨の日曜は仕込んだ分を持ち帰るばかりでした。手応えと不安が交互にやってくる時期が続きます。
変化は、起業18フォーラムの勉強会で別の会員さんの卸の話を聞いた日から始まりました。並べて待つのではなく、置いてもらいに行く発想です。一番繰り返し買われていた1品に絞り、地元のカフェと直売所の2店に通って、定番として置いてもらえるようになりました。
卸が固定になると、雨でも売上の土台が消えません。作る量を先に決められるようになり、市場の出店は新作の反応を確かめる場へと役割が変わりました。堀内さんは今、住まいを房総へ移す準備をしています。
よくある質問

Q.移住する前に、仕事のあてを完全に決めておくべきですか?
完全に決める必要はありませんが、ゼロで渡るのは危険です。目安は、向こうで顔と名前を覚えてくれている人が、両手で数えられるくらいいるかどうかです。定点発信と通いの手伝いがあれば、収入の形は移住後に整えていけます。
Q.4市町のうち、最初の候補はどう絞ればいいですか?
移住者向けの条件比較より、自分が売りたいものと人の流れの軸が合う町を選ぶほうが失敗しません。観光客に売るなら館山、滞在する人の暮らしを支えるなら鴨川、農産物に関わるなら南房総、対面の小商いを試すなら朝市のあるいすみが入り口になります。
Q.移住支援金を前提に資金計画を立ててもいいですか?
前提にはしないでください。募集期間・対象要件・予算枠が年度ごとに変わるうえ、起業での申請には県の補助金の交付決定など条件が重なります。もらえたら上乗せ、もらえなくても回る計画が基本です。
今日の一歩は、候補の市への電話一本でいい

何で食べていくかの方向性は、定点発信と通いの中で固まっていきます。それと並行して、候補にしている市の商工担当課か商工会に「創業相談の窓口はありますか」と電話で一本聞いてみてください。窓口の有無と担当の方の温度感は、ページを眺めるより電話のほうが早く分かります。
方向性が見えたときに誰を頼ればいいかを先に知っておくと、移住の計画は一気に具体になります。電話の内容は、聞いた日付と一緒にメモして、定点の記録に重ねておきましょう。

いつか「いすみ」や「館山」の地名を入れた小さな屋号を名乗る日が来たら、その札の一枚は、いまの社員証よりずっと手になじむはずです。都会の暮らしから飛び降りるのではなく、種をまきながら歩いて渡る。その橋は、移住の日ではなく今日から架かり始めます。
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