記事執筆/監修:新井一(起業18フォーラム代表)
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「マネーの虎」で番組史上最高額の2,270万円を調達した井手らっきょさんの野球塾は、2005年に熊本で開校し、2017年に運営を第三者へ引き継ぎました。
本人はいま、故郷の熊本でカラオケスナックのマスターをされています。経営経験ゼロの芸人が、なぜ虎たちの心を動かせたのか。そして調達したお金と野球塾は、どんな道をたどったのか。

放送から20年あまりたっても、この回が語り継がれるのには理由があります。資金を集めるために必要な力と、事業を続けるために必要な力の違いが、これほど分かりやすく詰まった回は他にないからです。
番組「マネーの虎」とは?

「マネーの虎」は、起業したい人が投資家の前で事業計画をプレゼンし、希望額に達すれば「マネー成立」として出資してもらえる、2001年から2004年まで日本テレビで放送された人気番組です。井手らっきょさんが登場した回の虎たちは、次の顔ぶれでした。
- 堀之内九一郎(56歳当時)年商102億: 元ホームレスから身を起こしたリサイクルショップ「生活創庫」社長
- 南原竜樹(43歳当時)年商55億: 日本を代表する高級輸入車ディーラー(株式会社LUFTホールディングス)
- 小林敬(46歳当時)年商65億: 創作料理店「えん」を全国にフランチャイズ展開
- 岩井良明(43歳当時)年商12億: 全国で躍進する名門学習塾の経営者
- 高橋がなり(45歳当時)年商78億: ソフト・オン・デマンド創業者
そして特別ゲストとして元プロ野球選手の秦真司さんも登場。この布陣を見ただけで、何かただならぬ雰囲気が漂っていました。
ちなみに南原会長は、2025年7月の参院選に日本維新の会の比例代表で立候補されました(結果は落選)。写真は虎ノ門・株式会社LUFTホールディングス事務所で撮影した南原会長です。

この回のキーマンになる岩井社長は、のちにYouTube「令和の虎」の主宰として再び広く知られましたが、2024年9月に亡くなられました。この記事に出てくる岩井社長の言葉は、当時の放送でのやり取りです。
井手らっきょって何者?

「たけし軍団」のメンバーとして知られる井手らっきょさんは、熊本市の出身。実は芸能界きっての野球人として知られていました。番組当時40代前半、5歳から数えて40年近い野球歴を持つ筋金入りです。
- 50メートル5.8秒の俊足: 番組内で紹介された、プロ選手級の走力
- 日本ハムの入団テストで合格ラインに到達: たけし軍団の挑戦企画で、通常と同じ内容のテストを受けての実績
- 軟式野球で4度の日本一: 番組内で紹介された、社会人軟式トップ級の戦績
ビートたけしさんの草野球に参加したことが軍団入りのきっかけという経歴も、野球人らしい話です。芸人としてのキャリアとは別軸で「野球の専門家」というポジションを40年かけて築いてきたことが、この後のプレゼンの説得力につながります。
芸人さんらしからぬ名言も飛び出します。野球への本気度を象徴するひと言でした。
2,270万円の使い道は「室内野球塾」

井手らっきょさんが虎たちに提案したのは、子どもたちの野球環境を変える室内練習場型の野球塾の開校でした。当時の事業コンセプトは次の通りです。
事業コンセプト
- 対象: 小学生・中学生
- 規模: 200坪の室内練習場
- 設備: ピッチングマシン4台
- 頻度: 週1回、1日2時間
- 料金: 月額15,000円
- 目標生徒数: 400人
なぜ野球塾だったのか|中学チーム激減の現実

らっきょさんが語った現実は、なかなか深刻でした。
中学では3つの学校で1つのチームを作るという状況。練習も日曜日だけになってしまい、平日にもっと練習したい子どもたちの受け皿がない、ということです。
この課題認識は放送当時の実感にとどまりません。だからこそ数字で確かめておきたいのですが、日本中体連の調べでは、中学軟式野球の部員数は2009年度の30万7,053人から2018年度には16万6,800人へとほぼ半減しました(出典:東洋経済オンライン 2019年)。
野村総合研究所が2024年3月に公表した中体連加盟人数の推計でも、軟式野球は減少が続く見通しです(出典:野村総合研究所・文部科学省関連資料 2024年3月)。井手さんが指さした課題は、20年後のいまも現在進行形ということになります。
ニーズはありそうです。でも、経営者としての経験はどうなのか? 南原社長が単刀直入に切り込みます。
正直すぎる回答です。ただ、経営未経験を隠さなかったことが、この後の「人脈」という独自価値の説得力をかえって高めることになります。
最強の切り札は元プロ野球選手の人脈

経験不足を白状し、劣勢に立たされた井手らっきょさん。しかし、ここでとんでもない切り札を繰り出します。
そして取り出したのは、元プロ野球選手のリストでした。
- 元ヤクルト・秦真司
- 広島の4番・小早川毅彦
- エース・川口和久
昭和の野球ファンなら今でもワクワクする名プレイヤーがズラリと並びました。この瞬間、スタジオの空気が変わり、虎たちの目の色も変わります。
人脈という自分だけの資産が、経営経験ゼロという弱点を一気にひっくり返しました。
事業計画で露呈した数字の甘さ

ところが、事業計画書の詳細を聞かれると、数字の詰めの甘さが次々に露呈します。
200坪に400人は入るのか?
怪しくなってきました。さらに追い打ちをかける質問が続きます。
虎たちの不信を招いたのは経営未経験そのものより、定員や動線を詰めていない事業計画のほうでした。

月額15,000円をめぐる攻防
らっきょさんの予想と全然違います。実体験を持つ岩井社長からの厳しい指摘です。
実際にクラブチームを経営している虎からの生の声です。痛いところを突かれました。
決定的な指摘
プロに教えてもらえる価値はあっても、実際の指導時間や密度を考えたとき、月謝を払う保護者が納得するのか。価格設定の核心を突いた問いでした。
実技披露で虎たちの空気が一変
ここからがこの回の最大の見どころ。プロの指導を実際に見てほしいと井手らっきょさんが言うと、秦真司さんがスタジオに登場し、プロによる指導の実演が始まります。
子どもたちによくある悪いクセ
虎の一人、高橋がなりさんにバットを振ってもらうと、こんなコメントが出ます。
プロが教える正しい体の使い方
そして秦さんの美しいスイングが披露されます。圧巻でした。目の前で実物を見せることに勝るプレゼン資料はありません。
南原社長は「このビジネスの中心は秦さんであるべきだ」と主張しますが、司会の吉田栄作さんが「井手らっきょさんも野球では十分に説得力がある」と助け舟を出します。栄作さんは毎回いい仕事をします。
虎たちに残った懸念
ビジネスとして考えると課題も見えてきました。
堀之内社長の指摘
講師との契約関係など、ビジネスとしての仕組みが曖昧な部分がありました。
看板にしている講師が続けられなくなったら事業ごと止まる。属人型ビジネスの急所を見抜いた指摘です。
それでも、虎たちの心はすでに動いていました。
2,270万円調達成功の瞬間

そしてマネーが動きます。
小林社長:270万円
岩井社長の名言と共に、まず小林社長が270万円を提示。飲食の虎が野球塾にマネーを投じます。
岩井社長:1,000万円
次いで、名古屋でクラブチームを持つ岩井社長が1,000万円を提示しました。月謝の相場を一番厳しく突いた本人が、一番大きな金額を積んだのです。
高橋がなり社長:1,000万円
そして、ソフト・オン・デマンド創業者の高橋がなりさんが1,000万円を提示。合計2,270万円は、マネーの虎の歴史でも最高額のマネー成立でした。
その後どうなった|野球塾PBAは2017年に運営移譲
マネー成立後の2005年、野球塾「プロフェッショナル・ベースボール・アカデミー(PBA)」が熊本で開校しました。当初は神奈川県での開設を予定していましたが、建築基準法などの関係で断念し、井手さんの故郷である熊本市での船出になりました。
運営会社は有限会社裸裸裸(ららら)。代表取締役には出資者である岩井社長自身が就き、井手さんが校長、秦真司さんが副校長という布陣でした(出典:プロフェッショナル・ベースボール・アカデミー関連情報)。
しかし2017年、井手さんはPBAの運営から離れ、有限会社裸裸裸も同年に閉鎖されました。運営は有限会社西日本物流サービスへ引き継がれ、現在の公式サイトでも小中学生向けの野球技術指導を行うスクールとして案内されています。
ネット上では「出資したお金はどうなったのか」という疑問をよく見かけます。ここは誤解の多いところです。
融資と違い、出資というお金には返済義務がありません。そのかわり出資者は事業のオーナー側として関わります。実際この野球塾では、岩井社長が運営会社の代表取締役を務めました。虎たちは「貸した」のではなく「一緒に経営する側」に回ったわけです。
- 2005年: 有限会社裸裸裸を設立し、熊本で野球塾PBAを開校
- 2017年: 井手さんがPBA運営から離脱・有限会社裸裸裸を閉鎖
- その後: 有限会社西日本物流サービスがPBAの運営を承継
開校から運営移譲までは12年。子ども向けのスクール事業を12年続けたこと自体、決して短い記録ではありません。
資金調達のプレゼンと、12年間運営を続ける経営とでは、求められる力がまったくの別物です。井手さんは芸能活動と並行して野球塾を立ち上げ、最終的に経営を専門の会社へ引き継ぐ判断をされました。失敗というより、個人が始めた事業の承継のひとつの形といえます。
調達成功の要因分析

あらためて並べると、番組史上最高額の裏には4つの要素がありました。
- 40年の野球歴という実績: 5歳から続けた競技歴と日本一の戦績は、誰にも否定できない価値だった
- 他にはない人脈: 元プロ野球選手との関係性は、井手さんにしか用意できない講師陣だった
- 実在する社会課題: 小学校1500チームが中学で100チームに減るという具体的な数字で説明した
- 実技による説得力: 秦真司さんの実演が「百聞は一見にしかず」を体現した
起業の教訓|先に与える人が応援される

資金調達や創業の相談に立ち会っていると、お金でも人でも、困ったときに助けてもらえる人には共通点が見えてきます。頼む前から、先に相手の役に立ってきた人です。
拙著『起業神100則』では、この姿勢を「ギブ&テイクではなく、ギブ&ギブ」という言葉で紹介しています。返ってこないことを承知のうえで先に差し出す。その積み重ねが、信用という見えない資産に変わっていきます。
虎たちが出資したのは事業計画書の完成度よりも、井手さんが40年かけて積み上げた野球への信用でした。調達の成否は当日のプレゼンだけでなく、前日までの生き方でほぼ決まっていたわけです。
芸能人だから人脈があっただけ、と感じるかもしれません。ただ、応援される人の構造に肩書きは関係ありません。取引先、同僚、趣味の仲間。先に役に立ってきた相手の数だけ、いざという時に動いてくれる人が現れます。
一方で、この回は調達後の現実も隠していません。段階によって求められる力は、こう変わりました。
- 調達で効いた力: 40年の野球歴・元プロの人脈・目の前での実演
- 継続で必要だった力: 定員と料金の数字設計・講師と結ぶ契約の仕組み・本人がいなくても回る運営体制
もうひとつ、情熱と市場の数字は別々に確かめる必要があります。矢野経済研究所が2025年5月8日に発表した調査では、2024年のスポーツ用品国内市場は1兆6,734億6,000万円で、前年比101.3%でした(出典:矢野経済研究所 2025年5月)。
市場全体はゆるやかに伸びていても、中学野球の部員数は減り続けています。市場の大きさと、自分のお客様の数は別の数字です。井手さんの回は、情熱と数字の両方を見る大切さも教えてくれます。

よくある質問

Q.井手らっきょさんの野球塾は実際に開校したのですか?
はい。2005年に熊本で野球塾PBAが開校し、井手さんは校長として関わりました。その後、2017年に運営から離れ、別会社へ承継されています。
Q.2,270万円の出資が決まった理由は何ですか?
事業計画だけでなく、40年の野球歴、元プロ野球選手との人脈、秦真司さんによる実技の説得力が重なったためです。机上の数字だけではなく、本人にしか用意できない信用が評価されました。
Q.起業準備者がこの回から学ぶべき点は何ですか?
お金を頼む前に、先に相手へ価値を差し出してきたかを見直すことです。応援される人は、当日のプレゼン以前に、日頃の信用を積み上げています。
Q.スポーツ教室で起業する場合、最初に確認すべき数字は何ですか?
対象者の人数、月謝、継続率、講師への支払い、施設費です。情熱だけでなく、何人が何ヶ月続けば固定費を超えるのかを先に計算してください。
まとめ

井手らっきょさんの野球塾プロジェクトは、「経験不足を独自の価値で補う」という調達の王道と、調達後の継続がまったく別の勝負になるという現実の、両方を見せてくれました。
虎たちが最終的に動いたのは、事業計画の完璧さに対してではありません。井手さんにしか出せない価値と、40年分の本気に対してでした。
これから起業を考える方の最初の一歩は、大きな計画づくりよりずっと手前にあります。あなたの挑戦を喜んで応援してくれそうな人が何人いるか、顔を思い浮かべながら数えてみてください。浮かんだ人数が、いまのあなたの信用の現在地です。
放送から20年あまり。井手さんの2,270万円は、「人は何に対してお金を出すのか」をいまに伝える生きた教材です。
ちなみに|井手らっきょさんの現在
井手らっきょさんは2018年に故郷の熊本へ戻り、熊本市中央区の下通でカラオケスナック『らっきょの小部屋II』を経営されています。
お店を開けている日は必ず店長(井手らっきょさん本人)がいらっしゃるとInstagramで告知されています。2025年にはABEMAの密着取材も受けていて、66歳のいまも元気にお店に立たれています。運が良ければ、当時の思い出話も聞かせてくださるかもしれません。
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