アントニオ猪木さんがこれまで手がけてきたビジネスを調べてみた

新井一

記事執筆/監修:新井一(起業18フォーラム代表)
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私の世代(40代後半)なら、誰もが知るプロレスラー、燃える闘魂「アントニオ猪木」さん。子供の頃の私は、金曜日午後8時にテレビの前へ座り、古舘伊知郎さん実況の「ワールドプロレスリング(新日本プロレス)」を欠かさず見ていました。

大人になってからは馬場さん派に寝返りましたが(笑)、リングの外でも世間を騒がせ続けた猪木さんの存在感は、今も色あせません。

プロレス

アントニオ猪木(本名:猪木寛至)さんは、日本で一番有名な元プロレスラーと言っても過言ではありません。2022年10月1日に79歳で逝去される直前まで、病床のYouTubeで時折、お姿を見せてくれていました。実は猪木さんは、プロレス興行以外でも数々のビジネスを手がけた起業家でもあります。そして、その事業のほとんどは「失敗」に終わっています。

この記事では、猪木さんが手がけたビジネスを事実で振り返りながら、起業支援の現場に26年立ってきた私が「連続失敗のほんとうの原因はどこにあったのか」を掘り下げていきます。読み終えるころには、有名人の派手な失敗談が、会社員のあなたの起業判断に効く一つの判断軸へと変わっているはずです。

ポイント アントニオ猪木さんが手がけたビジネスの全体像

タバスコ・バカス処理・永久電気という三つの挑戦

プロレス

猪木さんは、日本のプロレスの父「力道山」からスカウトされてプロレスラーになりました。ジャイアント馬場さんと共に、日本人2トップのレスラーとして時代を作った人物です。そのレスラーとしての実績の裏で、いくつもの事業に挑んでいます。まずは、その全体像を事実で押さえておきましょう。

最初に名前が挙がるのが、貿易会社「アントン・トレーディング」です。猪木さんは13歳のときに母親や祖父、兄弟とブラジルへ渡った過去があり、1970年代にブラジル産の食品などを扱うこの会社を立ち上げました。マテ茶やひまわりの種などを輸入していたのですが、あの「タバスコ」の代理店契約も結んでいたことで知られています。

タバスコを日本に広めたのは猪木さん?

一部ではそう信じられていますが、これは正確ではないようです。タバスコは戦後すぐ、進駐軍の手で日本へ持ち込まれていたとされます。猪木さんが結んだタバスコの代理店契約は一時的なもので、大金を得るどころか、別件の負債もあって早々に手放してしまいました。皮肉なことに、猪木さんが利権を手放したあとに激辛ブームが訪れ、タバスコの需要は大きく伸びていきます。

次が、環境ビジネスです。1980年、ブラジルではサトウキビ由来のアルコールをエネルギーとして使う研究が進んでいましたが、アルコールを精製する際に出る搾りカス「バカス」の処理に各所が困っていました。

サトウキビ

このバカスを家畜の飼料に変え、さらにその家畜の糞を堆肥として農産物の増産につなげる。そんな循環を描いたのが、猪木さんが1980年にブラジルで設立したバイオテクノロジー企業「アントン・ハイセル」でした。発想そのものは、いまの言葉でいえばサステナブルで先進的なものです。しかし事業は軌道に乗らず、負債は数十億円という莫大な額にふくらみました。

三つ目が「永久電気」です。2002年3月12日、ホテルオークラで「Inoki Natural power-IV」の開発記念記者会見が華々しく開かれました。ところが、起動スイッチを入れても点灯するはずの電光板は灯らず、デモは失敗。のちに、この永久機関の話を猪木さんに持ちかけた人物は詐欺容疑で逮捕されています。夢のあるエネルギー事業もまた、日の目を見ることはありませんでした。

ポイント 連続失敗の共通点は「商品力」ではなく「やめどき」だった

引き際を決めなかったことが失敗の傷を深くした

少年時代

上は大学時代の私、新井一です。馬場さん、三沢光晴さん、川田利明さん、小橋健太(現・小橋建太)さんといった全日本プロレス・超世代軍の大ファンで、プロレスラーになれたら、と淡い夢を抱いていた少年でした。馬場さんや元子夫人には大変可愛がっていただき、右の写真は大学の卒業パーティーをしていただいた夜の記念撮影です。そんな私ですから、猪木さんの事業の話も他人事には思えません。

猪木さんの失敗を語るとき、よく「市場性のないアイデアに飛びついたから」「商品が弱かったから」と説明されます。たしかにバカスの飼料化も永久電気も、商品としての成熟度は十分ではありませんでした。けれど、起業支援の現場で26年見てきた私が引っかかるのは、別のところです。

猪木さんの失敗に共通していたのは、商品力の弱さよりも「ここまでで撤退する」という線を最初に引いていなかったことだと感じています。新しい挑戦に飛び込む勇気は人並み外れていました。問題は、うまくいかないと分かったあとも、止め時を決めないまま資金を注ぎ込み続けてしまった点にあります。

アントン・ハイセルに見る「上限を決めない」怖さ

象徴的なのがアントン・ハイセルです。日本とブラジルの気候の違いでバカスを分解する物質がつくられないこと、現地のインフレで生産コストが急騰したこと。事業を続けるほど赤字が深くなる兆候は、途中で何度も出ていました。それでも事業は止まらず、運転資金は新日本プロレスの利益から際限なく工面され、最終的に数十億円の負債が残ります。

もし「投じるのはここまで」「この状況になったら撤退する」という線が先に引かれていたら、傷はずっと浅く済んだはずです。猪木さんの事業の本当の教訓は、「失敗したこと」ではなく、引き際をあらかじめ決めていなかったことで、一つの失敗が取り返しのつかない規模にまで育ってしまったことにあります。

ポイント 会社員のうちなら、撤退ラインは最初から引ける

使える資金の範囲を先に決めれば失敗は怖くない

インテリアコーディネーター

ここで、有名人だから特殊な話だ、と感じた方もいるかもしれません。けれど、引き際を決めずに突き進む構図は、規模こそ違え、ふつうの起業準備でもよく起こります。むしろ会社員のあなたにこそ、猪木さんにはなかった強みがあります。それは、本業の収入が続いているうちに、最初から撤退ラインを引けることです。

拙著『起業がうまくいった人は一年目に何をしたか?』。この本では、自分が使える資金の範囲や、どういう状況になったら撤退するのかを、漠然としたままにしないという考え方を紹介しています。撤退ラインを具体的に決めておけば、必要以上に恐れる理由はなくなります。考えること自体には、家賃も人件費もかかりません。

では、撤退ラインの土台になる「使える資金の範囲」は、どのくらいを目安にすればよいのでしょうか。日本政策金融公庫総合研究所の「2025年度新規開業実態調査」(2025年12月公表)によると、開業費用は「250万円未満」が20.1%、「250万〜500万円未満」が21.7%で、合わせて4割を超えています。

だからこそ読み取れるのは、世間で語られる派手な失敗額と、実際の起業の身の丈はまったく別物だということです。私が支援してきた現場でも、会社員の起業準備は数万円から数十万円の小さな元手で始める方がほとんどでした。

  • 投じる上限を決める:
    生活を脅かさない範囲で「ここまでなら失っても痛手にならない」という金額を一つ決めます。
  • 撤退の条件を決める:
    「半年やって問い合わせがゼロなら一度やめる」など、感情ではなく事実で判断できる線を引きます。
  • 本業は手放さない:
    収入の柱を残したまま試せば、撤退してもダメージは限定的で、もう一度始め直せます。

同じ書では、撤退は失敗ではなく、次の判断のための情報収集なのだという見方も示しています。撤退をそう捉え直せれば、一度やめても、また始められます。猪木さんに足りなかったのは挑戦する勇気ではなく、この「引き返せる設計」でした。会社員のあなたは、それを最初から持っているのです。

ポイント 起業18フォーラム現場より:猪木さんの失敗に救われた会員さんの話

引き際を先に決めたことで一歩を踏み出せた

ミートアップ

起業相談の現場で、印象的な会員さんがいました。桑原さん(48歳・製造業の品質保証・男性)です。桑原さんは「失敗したら家族に申し訳ない」という思いから、10年以上も起業準備の入口で足踏みしていました。

転機は、猪木さんのビジネス失敗を扱ったこの記事を読んだことでした。「あれほどの人でも、引き際を決めずに突っ込んで数十億円を失った。逆に言えば、最初に上限さえ決めておけば、自分の失敗なんて知れている」。そう腹落ちしたといいます。

  • 属性:
    48歳・製造業の品質保証・男性(既婚・子ども2人)
  • スタート時の状況:
    「いつか起業したい」という気持ちは10年以上あったが、失敗を恐れて一歩も動けずにいた
  • 転機:
    猪木さんの失敗記事を読み、「引き際を先に決めればいい」と発想が変わった
  • やったこと:
    使える元手を上限15万円と決め、「半年で有料の依頼がゼロならやめる」と撤退条件を引いたうえで、品質管理の相談サービスを小さく開始
  • 現在地点:
    最初の有料相談が2件入り、半年で固定の取引先が3社に。「やめる線が見えていたから、怖がらずに出せた」と話す

桑原さんが変わったのは、稼いだ金額より先に「いつ、どこまでで引き返すか」を決めたことでした。起業に踏み出せない理由のほとんどは、失敗そのものではなく、失敗が青天井に広がる怖さです。撤退ラインを先に引くと、その怖さは具体的な大きさに収まります。日本最高クラスの失敗起業家である猪木さんの話が、恐れにとらわれた人の背中を押してくれることがあるのです。

ポイント よくある質問(FAQ)

猪木さんの事業と逝去後の現在地に関する疑問

起業前質問集

Q:アントニオ猪木さんはいつ亡くなりましたか?

A:2022年10月1日に心不全のため79歳で逝去されました。「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」という難病と闘いながら、最後まで病床からYouTubeでメッセージを発信し続けていました。

Q:アントニオ猪木酒場は今もありますか?

A:2020年7月31日に最後の新宿店が閉店し、現在は全店舗が存在しません。池袋店や渋谷店など複数を展開していましたが、惜しまれつつ全店終了となりました。

Q:永久電気とはどんな事業だったのですか?

A:磁力を使った永久機関をうたう発電事業で、2002年3月12日にホテルオークラで記者会見が開かれました。ただしデモンストレーションで電光板が点灯せず、話を持ちかけた人物はのちに詐欺容疑で逮捕されています。事業として形になることはありませんでした。

Q:猪木さんの失敗を、自分の起業に活かす方法はありますか?

A:「失敗しても諦めない精神」は受け継ぎたいところですが、同じ失敗を大きく育てない工夫はもっと大切です。猪木さんに足りなかったのは、投じる上限と撤退の条件を先に決めておくことでした。会社員のうちなら、本業を残したまま小さな元手で試し、撤退ラインを最初から引けます。ここが、有名人の失敗から学べる一番実用的な点です。

川田さんは今、ラーメン屋さんの経営者です。脱サラして飲食で独立したい方は、下の記事もあわせてどうぞ。

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2022年10月1日、アントニオ猪木さんは心不全のため79歳で逝去されました。何度失敗してもリングに戻り、最後まで病魔と闘い続けた姿を、私は今も忘れません。改めてご冥福をお祈り申し上げます。


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記事執筆/監修:新井一(あらいはじめ)起業支援キャリアカウンセラー

新井一
起業18フォーラム代表。「会社で働きながら6カ月で起業する(ダイヤモンド社)」他、著書は国内外で全13冊。最小リスク、最短距離の起業ノウハウで、会社員や主婦を自立させてきた実績を持つ。自らも多数の実業を手掛け、幅広い相談に対応している。

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