記事執筆/監修:新井一(起業18フォーラム代表)
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「お金がないから、起業は無理」。そう自分に言い聞かせて、Geminiを閉じてきた人ほど、早期退職の割増退職金がまとまって入ると、急に気が大きくなります。これだけあれば、店も借りられる。設備も揃う。広告も打てる。
ただ、その勢いのまま使い始めて、半年後に通帳を見て青ざめる人を、私は何人も見てきました。退職金は、入ってくる一回きりのお金です。使う順番を決めずに手をつけると、思っていたより早く減ります。
この記事では、退職金を起業の元手にする前に確かめたい「お金の使い方と順番」を整理します。いつ辞めるかというタイミングの話ではなく、入ってきたお金をどう守りながら準備に回すか。そこに絞ってお話しします。
退職金が入ると、なぜお金の感覚が狂うのか

「一回きりのお金」を「毎月のお金」と錯覚する
退職金は、毎月の給料とは性質がまったく違います。給料は来月もまた入りますが、退職金は基本的に一度きりです。それなのに、口座の残高が大きくなると、人はつい「これくらいなら使っても大丈夫」と毎月の感覚で判断してしまいます。
厚生労働省の令和5年就労条件総合調査によると、勤続20年以上かつ45歳以上で定年退職した人の退職給付額は、大学・大学院卒(管理・事務・技術職)で平均1,896万円でした。早期優遇による退職の場合は、これを上回る支給額になるケースも少なくありません。桁が大きいぶん、感覚も狂いやすくなります。
「起業に使うお金」と「生活を支えるお金」が混ざる
もう一つの落とし穴は、退職金という一つの財布の中で、起業の元手と当面の生活費が混ざってしまうことです。事業の出費なのか、家計の出費なのか、自分でも区別がつかなくなります。
そうなると、事業がうまくいっているのか赤字なのかも見えなくなります。お金が減っていく不安だけが先に立ち、冷静な判断ができなくなる。退職金を起業に回すなら、まずこの二つを別の財布に分けるところから始めてください。
起業に「いくら要るか」を、データで一度押さえる

中央値で見ると、相場は意外と現実的
数字で全体感を押さえておくと、退職金をどこまで使うべきか、逆にどこは使わずに済むかが見えてきます。
日本政策金融公庫の2024年度新規開業実態調査では、開業費用の平均は985万円、中央値は580万円でした。平均は一部の大型開業に引き上げられるため、実態に近いのは中央値のほうです。さらに「250万円未満」が20.1%を占め、少ない元手で始める人がじわじわ増えています。
注目したいのは自己資金の額です。同じ調査で、自己資金の平均は293万円。資金調達額全体に占める割合は24.5%にとどまり、残りの多くは金融機関からの借り入れでした。つまり、開業費用のすべてを自分のお金で賄っている人は、思ったより多くありません。
- 開業費用の中央値:
580万円。平均は985万円だが、大型開業に引っ張られた数字 - 自己資金の平均:
293万円。調達額全体の24.5%で、残りは借入が中心 - 少額開業の広がり:
「250万円未満」で始める人が2割を占めている
このデータが教えてくれるのは、起業に退職金を丸ごと注ぎ込む必要は、必ずしもないということです。中央値の規模であれば、退職金の一部だけでも届きます。元手を抑えて始められる形を選べば、もっと手元を残せます。
使う順番を決める前に「先にやらないこと」を決める

最初は「やらないこと」のほうが多くていい
何にお金を使うかを決めるのは、意外と難しいものです。あれもこれも必要に見えてきます。そこで順番が決まらない人に、私がよくお伝えしている考え方があります。
拙著『会社を辞めずに朝晩30分からはじめる起業』では、劣後順位リストという考え方を紹介しています。優先順位が「先にやることを決める」リストだとすれば、劣後順位は「先にやらないことを決める」リストです。立ち上げの時期に、後回しにしていいものをはっきりさせておく。これが退職金を守る一番の盾になります。
たとえば、立ち上げ期にやらないと決めやすいのは、こうした項目です。きれいな内装、最新の設備、独自のシステム開発、まとまった広告費、立派な事務所の契約。どれも「あったほうがいい」ものですが、最初のお客さんが一人もいないうちは、なくても困りません。
これらを後回しにすると決めるだけで、退職金から出ていくお金が大きく変わります。お客さんがつき、毎月いくらか入ってくる手応えが出てから、その範囲で一つずつ足していけばいい。順番を逆にすると、手応えのないまま退職金だけが減っていきます。
- 内装・設備を先に整える:
お客さんがつく前に手を入れても、回収のあてがない - システムを一から作る:
既存の安いツールで足りる時期に、大きな出費は早すぎる - 広告を先に打つ:
売るものが固まる前の広告は、お金を捨てやすい
退職金に手をつけずに月商を作った、尾形さんの場合

「使わないお金の一線」を引いた
起業18フォーラムの会員に、尾形さんという方がいます。製造業で長く品質管理を担当し、早期退職の募集に手を挙げて、割増退職金を受け取ったところからの相談でした。
最初の尾形さんは、退職金を元手にコンサルティング会社を構える構想を描いていました。事務所を借り、名刺やサイトを整え、まず形から入ろうとしていたのです。気持ちはわかります。長年の肩書きが消えた不安を、設備や体裁で埋めたくなる時期でした。
流れが変わったのは、起業18フォーラムの個別相談で、支出と試行にかかる費用をいったん全部書き出してみたときでした。「これは退職金からですか、貯蓄からですか」と一つずつ確認していくと、退職金を当てにした項目がほとんどだと、尾形さん自身が気づいたのです。その後の勉強会で、尾形さんは「使わないお金の一線」という言葉を口にしました。退職金には手をつけない。動かすのは本業時代の貯蓄と、毎月の収入の範囲だけ。そう一線を引いたのです。
そこからの尾形さんは、事務所を借りるのをやめ、自宅から始めました。最初の仕事は、前職のつてで頼まれた品質管理の改善相談です。報酬は決して大きくありませんでしたが、退職金にはまったく手をつけませんでした。
6ヶ月目には、その月の売上が、現役時代の本業の月収のおよそ3割に届くようになりました。金額そのものはまだ会社員時代に及びません。それでも尾形さんが安心していたのは、ここまで一度も退職金を取り崩していないという事実があったからです。元手を守ったまま、収入の柱が一本立ち始めた。その手応えのほうが、尾形さんには大きかったようです。
- 退職金には手をつけない:
動かすのは貯蓄と毎月の収入の範囲だけと、先に決めた - 事務所より先に一件目:
自宅で始め、前職のつてから最初の仕事を受けた - 本業月収の3割に到達:
元手を守ったまま、収入の柱が一本立ち始めた
今日できる、お金の「ざっくり見積もり」

退職金を守りながら起業準備を進める順番が見えてきたら、最後にやることは一つだけです。
そこで今日は、起業に最低いくら要るかを、今わかっている費用だけでざっくり見積もってみてください。正確でなくて構いません。家賃、最初の仕入れや道具、登録や届け出にかかるお金。思い当たるものを並べて、合計の桁を確かめます。
その桁が見えれば、退職金のうちどこまでを使い、どこからは手をつけずに残すか、自分なりの一線が引けるようになります。先に「やらないこと」を決めておけば、その合計はもっと抑えられるはずです。退職金は、減らさずに残しておくほど、いざというときのあなたの自由を支えてくれます。

割増退職金は、起業を後押ししてくれる心強い元手です。だからこそ、勢いで使い切るのではなく、守る順番を先に決める。その一手間が、半年後のあなたの落ち着きを変えます。
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