記事執筆/監修:新井一(起業18フォーラム代表)
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● 質問
新卒で入った会社にそのまま勤めて、今年で30年になります。転職は一度も経験がなく、社外のことをほとんど知らないまま52歳になりました。
同期には転職で経験を広げた人もいるのに、私は一つの会社の中のことしか分かりません。こんな私でも起業の準備はできますか?

● 回答
できます。しかも「外を知らない遅れを取り戻す」形ではなく、30年の蓄積をそのまま土台にする形で始められます。
仕事は回せるし、社内で頼られている自覚もあるはずです。それでも、名刺から会社名が消えた自分を想像すると、急に足元が頼りなく感じられるのではないでしょうか。
ただ、その感覚は一度、数字と突き合わせてみる価値があります。厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」(令和6年・2025年3月公表)によると、フルタイムで働く一般労働者の平均勤続年数は12.4年、男性に限っても13.9年です。
同じ会社に30年勤めてきた人は、統計の上では平均の2倍以上の時間を一つの組織に積んできた少数派です。「みんな転職で外を知っているのに、自分だけ取り残された」という感覚は、数字で見るとむしろ逆になります。
「外を知らない」は、本当に弱みなのか
起業18フォーラムにも、転職を経験しないまま50代を迎えた方の相談は定期的に届きます。お話を聞いていて感じるのは、皆さん「いくつの会社を知っているか」で自分を採点してしまっていることです。
起業の準備で本当に問われるのは、会社の数ではありません。これまで何を積み重ねてきたか、です。転職が育てるのは、新しい環境に慣れる適応力や自分を外へ説明する経験です。一方で、一つの会社に30年いた人には別の力が育っています。
- 転職経験が育てる力:
新しい環境への適応力と、自分を外に向けて説明する経験 - 勤続30年が育てる力:
同じ相手と信頼を保ち続ける力と、業界・業務への深い理解 - 独立後の商売を支える力:
新規開拓よりも、一度のお客様に繰り返し頼まれる関係づくり
独立してからの小さな商売は、派手な新規開拓よりも、再依頼と紹介で回っていきます。つまり、長く勤めた人がすでに持っている力のほうが、独立後の日常に近いのです。
30年で積み上がった、看板とは別の資産
拙著『起業神100則』に「自分だけの競争優位性は、過去の延長線上にしか見つかりません」という一節があります。会社にいるあいだにしか育てられない人のつながりは、その代表例です。取引先、協力会社、後輩、同期、先に辞めていった先輩。30年分の関係は、辞めてからでは作り直せない蓄えになっています。
ここで、よくある不安にも答えておきます。「社内の人間関係なんて、会社を離れたら消えるのでは」というものです。会社の看板に向けられた信用は退職と同時に消えますが、あなた個人に向けられた信頼は別物として残ります。この二つを分けて眺めることが、52歳からの棚卸しの肝になります。
見分け方は難しくありません。30年の記憶の中に、「部署宛て」ではなく「あなた宛て」に届いた相談や指名がどれだけあるかを探せばいいのです。
- 個人名指しの相談:
部署ではなく、あなた個人を名指しして届く相談や問い合わせ - 離れても続く縁:
転職や定年で会社を去った人と、その後も続いている連絡 - 社外からの指名:
取引先や協力会社から、担当替えのときに惜しまれた経験
サインが一つでも見つかれば、それが商品づくりの出発点になります。30年を「外を知らない時間」ではなく「同じ相手と信頼を続けてきた実績」と読み替えることが、準備の最初の一歩です。
といっても、いきなり事業計画を書く必要はありません。確かめる作業なら今夜にもできます。
この1週間に受けた相談や頼まれごとを思い返して、「部署宛て」だったか「自分宛て」だったかを仕分けてみてください。自分宛てが一つでもあれば、看板の外でも残る信頼の種はもう手元にあります。
同窓会から動き出した、勤続30年の結城さんの場合
起業18フォーラム会員の結城さん(仮名・52歳)も、新卒で入った機械部品メーカーの購買部門ひと筋で30年を過ごしてきた方です。動き出したきっかけは、久しぶりに顔を出した高校の同窓会でした。設計事務所を構えた旧友の「会社の名前がなくなっても、頼ってくれる人は残った」という話を聞いて、しまい込んでいた「いつかは自分の仕事を」という思いが戻ってきたそうです。
それでも、最初の相談会では「30年分の経験といっても、社外で値段がつくとは思えません」と話していました。変わったのは、勉強会で他の会員さんから「同じ立場だったら結城さんに何を頼みたいか」を次々に挙げてもらってからです。仕入先を見極める目、価格の相場観、角を立てない交渉の組み立て。本人には当たり前すぎて見えていなかった力に、外から値札が付きました。
結城さんは会社を辞めず、週末だけで小さな町工場向けの仕入先探しと原価交渉のサポートを始めました。報酬は月5万円前後です。開始から1年あまりで受けた依頼はおよそ20件。そのうち半分は、一度頼んでくれた相手からの2回目以降の依頼です。新しいお客様を追いかけ続けなくても、同じ相手と信頼を続ける30年来の力が、そのまま商売の形になっています。
外の世界は、転職でしか見られないものではありません。会いに行けば、今日からでも見られます。
同じように一つの会社に長く勤めてから独立した先輩を一人見つけて、「最初の半年はどうでしたか」と会って聞いてみてください。同窓会の名簿でも、セミナーの懇親会でもかまいません。生の話は、想像の中で膨らんだ不安を等身大に戻してくれます。
転職経験のなさは、これから埋めるべき欠落ではありません。平均の2倍を超える時間をかけて育てた関係と業務理解が、すでに手元にあります。準備とは、それを社外の言葉に翻訳していく作業です。

起業は、30年積み上げてきたものを捨てて外の世界に飛び込むことではなく、その上に自分で選べる道を一つ足すことです。そう捉え直したとき、勤続30年は引け目ではなく、誇っていい持ち物に変わります。
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