記事執筆/監修:新井一(起業18フォーラム代表)
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● 質問
海外駐在から日本に帰任して半年が経ちます。現地では取引先や行政の人と直接やり取りして事業を動かしていたのに、帰任したら国内の調整業務ばかりで、正直あの数年が宙に浮いた感覚です。
海外で得た経験を活かして起業準備を始めたいのですが、語学が特別得意なわけでもなく、何から手をつければいいのか分かりません。どう考えればいいでしょうか?

● 回答
その「宙に浮いた感覚」は、帰任された方からよく届く相談です。最初にお伝えしたいのは、起業準備で武器になるのは語学そのものではない、ということです。あなたの強みは、現地で何年もかけて築いた取引先や担当者との信頼関係、そして両国のあいだに立って物事を動かした橋渡しの経験のほうにあります。語学はその信頼を運ぶ道具にすぎません。
駐在帰任の方とお話ししていて気づくのは、現地にいたころは「あなただから頼みたい」と名指しで相談が来ていたのに、帰任後はその関係がぱたりと止まってしまった、と寂しさを口にされる点です。裏を返せば、海外には今もあなたを必要としている相手がいる、ということでもあります。そこが起業準備の出発点になります。
帰任後にやりがちな3つの遠回り
まず、つまずきやすい入口を先に共有しておきます。気持ちが焦っているときほど、ここに足を取られがちです。
- いきなり語学を売りにする:
通訳や翻訳は単価が下がりやすく、現地で築いた信頼が活きない - 「グローバル人材」として転職市場で戦う:
同じ肩書きの帰任者が大勢いる土俵に自分から入ってしまう - 大きな海外ビジネス構想から描く:
資金も時間も足りず、最初の一歩が遠のく
どれも一見まっとうですが、共通するのはあなたしか持っていない関係性をいったん脇に置いて、誰でも入れる競争の中へ自分から飛び込んでしまう点です。ここを避けるだけで、進む方向がだいぶ変わります。
国内で戦うより、海外と本業のニッチへ逃げる
拙著『会社員が働きながら月30万円を稼ぐ起業法』の第4章では、闘争力より逃走力という考え方を紹介しています。同じ箱のなかで競合とぶつかり合うのではなく、自分だけが出ていける箱の外側へ移る。それが本当の差別化だ、という発想です。
帰任者にとっての「箱の外」は、まさに海外とのつながりです。国内の大勢と同じスキルで勝負するのではなく、あなたが現地で顔を覚えてもらった相手と、本業で培った専門領域とを掛け合わせて、競合の少ない細い道を選んでください。
たとえば現地メーカーの製品を日本の特定業界に橋渡しする、日本の中小企業の販路開拓を現地の人脈で支える、といった角度です。語学が達者な人は世の中に大勢いても、その業界とその国の両方に土地勘があり、しかも先方から信頼されている人は、ほとんどいません。
海外への入口は、思っているより開いている
「いまさら海外と言われても、個人では難しいのでは」と感じるかもしれません。ですが、追い風は確実にあります。ジェトロが2024年度に行った日本企業向けの海外事業展開アンケートでは、すでに海外拠点を持つ企業の47.9%が、今後3年程度で事業を「さらに拡大を図る」と回答しています。
海外と取引したい企業はむしろ増えていて、その橋渡しを担う人を探しています。だからこそ、現地の事情と日本側の都合の両方が分かるあなたの立ち位置に、値段がつくのです。
越境ECも個人が入りやすくなった領域です。同じアンケートでは、国内外でEC(仲介業者を通じた出店・販売を含む)の利用経験がある企業は41.1%にのぼり、今後さらに利用を広げる方針の企業も少なくありません。かつては大企業の専売特許だった海外取引が、いまは小さく試せる時代に変わっています。あなたが現地で仕入れ先や物流の担当者と直接やり取りできるなら、それ自体が大きな参入障壁になります。
高梨さんが月15万円の柱を作るまで
起業18フォーラム会員の高梨さん(仮名・40代・商社の海外営業)も、帰任後に同じ迷いを抱えていらっしゃいました。東南アジア駐在の数年で現地メーカーや物流業者と深い関係を作ったのに、帰任後は国内の社内調整に追われ、語学資格もないままで「自分の海外経験には値札が付かない」と思い込んでいたそうです。
転機は、勤め先で始まった社内の起業準備制度でした。それをきっかけに個別相談へ足を運び、駐在中にやり取りした相手の顔と名前を書き出すところから始めました。すると、現地メーカーの日本向け小ロット販売を手伝ってほしい、と以前から言われていた一社を思い出したのです。
そこで高梨さんは、その一社の製品を日本の小さな専門店に橋渡しする仕事を、勤めを続けながら小さく試しました。最初の取引は利益数千円です。それでも、現地との交渉と日本側の細かな要望調整という、自分にしかできない部分が値段になると分かったことが、何より大きかったと振り返っています。
取引先を少しずつ増やし、10か月目には海外仲介の仕事だけで月15万円ほどの柱になりました。いまも勤めは続けながら、扱う商材を広げているところです。
高梨さんの出発点は、語学という曖昧な強みではありませんでした。現地で誰とどんな信頼を築いたかという、具体的な相手の顔から動き出した。海外経験を起業準備につなげる鍵は、まさにそこにあります。
今日からできる最初の棚卸し
海外経験を事業の種に変える効果は、数字にも表れています。中小企業庁の「2025年版中小企業白書」によれば、輸出を続けている企業の売上高は2013年度から2022年度にかけて約1.3倍に伸び、輸出をしていない企業の約1.1倍を上回りました。とくに規模の小さい企業ほど、海外とつながることで伸びしろが大きいと報告されています。海外への一歩は、小さく始める個人にこそ向いているわけです。
では、何から手をつけるか。難しい事業計画は要りません。まず駐在中にやり取りした取引先や担当者の顔と名前を、30人ぶん書き出してみてください。そのうえで「いま日本側との橋渡しに困っていそうな人は誰か」を一人だけ選ぶ。そこからあなたの起業準備は具体的に動き出します。
あの数年は、宙に浮いてなどいません。現地で積み上げた信頼は、相手の記憶のなかにちゃんと残っています。それを呼び起こすところから、もう一度始めてみましょう。

海外で築いた関係は、肩書きが変わっても消えない、あなただけの財産です。語学の上手さで競うのではなく、誰と何を分かち合ってきたかを思い出すところから、次の一歩を選んでみてください。
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