勤務獣医から独立する道筋|借金せずに小さく始める起業の進め方

新井一

記事執筆/監修:新井一(起業18フォーラム代表)
最終更新日:

「いつかは自分の病院を持ちたい」。臨床の現場に立つ獣医師さんなら、一度は思い描く未来かもしれません。けれど見積もりを取ってみて、手が止まった経験はないでしょうか。

診療台、レントゲン、血液検査機器、入院設備。テナントを借りてフル装備で揃えれば、開業資金は数千万円に届きます。借りたお金を返しながら新規の患者を集める日々を想像すると、独立そのものをあきらめてしまう人は少なくありません。

ただ、起業の入口は「動物病院をまるごと建てる」一択ではありません。往診、予防、ペットロスのケア。設備をほとんど持たずに始められる道が、いまの獣医師には開かれています。この記事では、勤務を続けながら小さく一歩を踏み出すための手順を、現場で見てきた具体例とともに整理します。

ポイント 「フル装備で開業」という思い込みを外す

大型開業だけが獣医師の起業ではないという視点

獣医

獣医師の起業と聞くと、ほとんどの人がテナントに診療設備をフルで入れた動物病院をイメージします。けれどそれは、起業の「ゴールの一形態」であって「入口」ではありません。入口を間違えると、必要のない借金から逆算して事業を考えることになります。

農林水産省の飼育動物診療施設の開設届出状況(令和7年/2025年12月31日現在)によると、犬や猫など小動物・その他を診る診療施設は全国に13,046か所あります。この数字には、固定の病院だけでなく、住所を診療施設として届け出た往診中心の獣医師も含まれます。つまり制度のうえでも、建物を持たない診療のかたちはすでに認められています。

矢野経済研究所が2025年8月に発表した調査では、2024年度のペット関連市場は前年度比2.6%増の1兆9,108億円に達する見込みとされています。市場が伸びているということは、フル装備の病院では拾いきれていない需要が、その周辺にこぼれているということでもあります。大きな建物を建てる前に、その「こぼれた需要」のどこを自分が担えるかを考えるほうが、はるかにリスクが小さくなります。

ポイント 「小さな獣医業」という入口の選び方

設備を持たずに始められる小さな獣医業3つ

獣医

設備投資を抑えて始められる獣医業には、いくつかの形があります。共通しているのは、立派な施設ではなく「あなたが動物とその飼い主にどう向き合えるか」が価値の中心になる点です。

往診という形

動物を病院に連れて行けない事情を抱えた家庭は、想像以上に多いものです。高齢で通院がつらい飼い主、移動でパニックを起こす猫、多頭飼いで連れ出しが難しい家。往診は、車と診療鞄、そして経験があれば始められます。最初から大型の検査機器はいりません。

予防に絞る形

ワクチン、フィラリア予防、健康相談、栄養指導。病気を治すのではなく、病気にさせない領域にも需要があります。予防は単価こそ高くありませんが、季節ごとに繰り返し相談される関係が築きやすく、信頼の土台になります。

看取りとペットロスに寄り添う形

最期の時間をどう過ごすか、亡くなったあとの心をどう支えるか。緩和ケアやグリーフケアは、医療技術だけでなく臨床で培った言葉の力が活きる領域です。設備よりも、飼い主の感情に向き合える獣医師であるかどうかが問われます。

  • 往診:
    車と診療鞄で始められ、通院が難しい家庭の需要を拾える
  • 予防:
    繰り返し相談される関係が築きやすく信頼の土台になる
  • 看取り・ケア:
    臨床で培った言葉の力が価値になり設備依存が小さい

ポイント 勤めながら準備する具体的な手順

就業規則の確認から最初の依頼までの道のり

獣医

独立をいきなり退職とつなげる必要はありません。勤務を続けたまま、休みの日に動かせる範囲から準備を進めるほうが現実的です。順序を間違えなければ、生活を崩さずに最初の一歩が踏み出せます。

手順1:勤め先のルールと制度を確認する

まず就業規則を確認します。勤務先の病院と競合しない範囲はどこか、診療を行う際にどの届出が必要か。獣医療法では、往診のみで診療を行う獣医師は住所を診療施設とみなして届け出る仕組みがあります。制度の前提を押さえておくと、あとで慌てずに済みます。

手順2:頼まれてきたことを書き出す

これまで飼い主や知人から「こういうとき来てもらえないか」と相談された場面を思い出して、書き出してみてください。頼まれた経験は、あなたが提供できる価値がすでに市場で求められている証拠です。新しいサービスを発明するより、過去に頼られたことを起点にするほうが確実です。

手順3:小さな範囲で試す

近所の数件、知人の紹介から始めます。最初から広告を打って集客する必要はありません。一件ずつ丁寧に対応し、その評判が次の依頼を呼ぶ流れをつくります。手応えを確かめてから、対応範囲を少しずつ広げていけば十分です。

  • 就業規則と届出の確認:
    勤務先と競合しない範囲と、必要な届出を先に把握
  • 頼まれた経験の棚卸し:
    過去に相談された場面を起点にサービスを設計
  • 知人・近隣で小さく試行:
    広告ではなく一件ずつの評判から広げる

ポイント 起業18フォーラム会員・露木さんの歩み

月7万円から始まった往診起業の現実的な一歩

獣医

起業18フォーラムには、小動物診療に長く携わってきた獣医師の会員がいます。勤務先での日々に大きな不満があったわけではありません。ただ、診療の現場で出会う一頭一頭に、もう少し深く関わりたいという思いが、少しずつ積み重なっていきました。今後の働き方を見つめ直す中で、自分の獣医人生をどう使っていくかを考えるようになったことが、ひとつの転機になったそうです。

最初は、何から始めればいいのか分からず、休日にできることを考えては立ち止まる時期が続きました。それでも、これまでのつながりをきっかけに、少しずつ相談の機会が生まれていきました。1件1件に丁寧に対応する中で、活動の方向性も、少しずつ形になっていきました。

本業と両立しながら、無理のない範囲で活動を重ね、当初は小さな実績を積み上げるところからのスタートでした。数字だけを見れば控えめでも、自分の考えで動物と飼い主に向き合える実感は、それ以上の意味を持っていたといいます。時間をかけて活動の幅が広がり、予防に関する相談など、さまざまな場面で頼られるようになっていきました。

この会員の歩みから見えてくるのは、最初から完璧な計画が必要だったわけではない、ということです。目の前の相談に誠実に向き合うことが、次の一歩につながる。そんな起業の始まり方も、たしかにあるのです。

ポイント 一本の大きな柱より、小さな収入の柱を束ねる

往診・予防・看取りという小さな柱を組み合わせる発想

point

「自分には開業するほどの設備も資金もない」。そう感じて足踏みしている獣医師さんは、決して珍しくありません。けれど、起業の入口は一本の太い柱を立てることだけではありません。

拙著『会社を辞めずにあと「5万円!」稼ぐ』では、一つの大きな収入源に賭けるのではなく、複数の小さな収入の柱を持つという考え方を紹介しています。獣医業に置き換えれば、往診・予防・看取りといった小さな入口をそれぞれ細い柱として立て、束ねていくイメージです。

柱が一本だけだと折れたときに立ち行きませんが、何本かあれば、季節や依頼の波に左右されにくくなります。一人で手を動かす範囲なら無理なく続けられますし、月10万円を超えるあたりから人に任せる工夫を考えていけば十分です。

往診で頼られ、予防で相談され、看取りで寄り添う。どれも単独では小さな入口ですが、組み合わせれば、あなたにしか担えない関わり方になります。フル装備の病院を建てるより前に、まず一つの入口を開けてみる。そこから先は、頼まれたことが次の道を教えてくれます。

自分に売れる強みなんてないと感じるとき、どこを探せばいい?
● 質問 起業準備を始めたいのですが、自分には人に誇れるような強みやスキルが何もない気がして、入口で止まってい

あなたが独立に惹かれる理由は、たぶん収入だけではないはずです。借金のプレッシャーに追われずに、自分の裁量で目の前の動物と飼い主に向き合いたい。その願いに近づくために、今日できることは、これまでに頼まれてきたことを一つ書き出すだけで十分です。


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記事執筆/監修:新井一(あらいはじめ)起業支援キャリアカウンセラー

新井一
起業18フォーラム代表。「会社で働きながら6カ月で起業する(ダイヤモンド社)」他、著書は国内外で全13冊。最小リスク、最短距離の起業ノウハウで、会社員や主婦を自立させてきた実績を持つ。自らも多数の実業を手掛け、幅広い相談に対応している。

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